「この車ってMTじゃなかったっけ?」
私の父親は今年67歳になった。早いものである。
昔はカッコよかったが、(よくサングラスをしていたので周りの友達には怖そうといわれた)
なかなか強烈な発言や行動がここ最近絶えないので綴っていこうと思う。
20歳くらいの時に車の免許を取った。(猛反対を食らいAT限定)
そして中学生のころから乗りたかったメーカーの車を買った。
※車好きになってしまったのは完全に父の影響である。(昔はギャランやシビック、コペンを乗り回していた父。)(F1のアイルトン・セナが好きすぎて私の名前候補にも挙がっていたくらい)
☆
親切な車屋さんのおかげで購入から1週間程度で納車してもらうことができた。
そして試運転もかねて父親と近場のスーパーに行くことに。
「心配だからおとちゃんが運転する!!」と父親が言ったので心配になりながらお願いした。
エンジンをかけ、ギアをDにし、サイドブレーキを引いたが車が動かない。
なぜか「ぶおんぶぉん」と車がうなっている。
不安になり運転席の父の足元を見ると
【ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいた】のである。
私「ブレーキ踏みながらアクセル踏んでるの?」
父「」「この車ってマニュアルじゃなかったっけ?」「おとちゃんブレーキがクラッチだと思ってた。」
私「オートマだよ…」
そんなこんな言いつつ、スーパーには無事たどり着くことができた(車で5分くらい)
帰りにまた事件が起きた。警察署の前でアクセルを踏み込んだのである。
スピードは一般道の制限速度をオーバーしていた。ここでは詳細は記載できない。(その道の制限速度は40km/h。)
完全に勝負を仕掛けているのだろうか…。
なのにも関わらず運がいいからなのか、父はずっとゴールド免許をキープし続けている。
免許証を返納する日もいつかはあるかもしれないが
その日がくるまでは安全運転を心がけていただきたい。
「首が痛い」
私はなぜか小さいころから首が痛くなることが多かった。
(それに伴い、機嫌も極限まで悪くなる。)
保育園の頃。ピアノのお稽古に通い始めた。
1年くらい経ったころ、発表会があるから…といわれ半ば強制的に参加させられた。
母がかわいい衣装を作ってくれて、曲も暗譜してもう何も怖いものはない…と思っていた。
が、当日。首が痛かった…。
本番は難なく終えることができたが、写真は終始不機嫌で全く笑っていなかった。
☆
小学校の入学式。
人生での大きなイベントであろう。
(ランドセルを赤にするか、ピンクにするか、黄色にするかで家族で揉めた記憶がある。
結果、母親の一押しだったローズピンクになった。)
新品のランドセルを背負ってテンション爆あがり…のはずだったが
また首が痛い。
リビングには当時デザイナーをしていた父が描いてくれたイラストが貼ってあり、
うれしい気持ちと首が痛くてどうしよう、という気持ちがあった。
首が痛くなる時が多すぎて「大丈夫かな…」と不安になり落ち込み
首の痛みに機嫌が悪くなってしまった娘を見て
不機嫌になる父。
きっとこんなにカオスな入学式の日を迎えた家族はそうそうないだろう…
ちなみに入学式の写真はちゃんと笑っていた。
ピースしていたw
☆
どうして大事な日に首が痛くなってしまうのだろうか、
そしてどうしたらそれを回避できるのだろうか。
方法があるのなら試してみたい。
「謎のこだわり」
保育園の頃のこと。
1.【セーラームーン】
ここ最近再ブームとなっていたセーラームーン。
保育園の頃はうさぎちゃんとセーラー服に憧れていたからなのか、
母がセーラー襟のワンピースを買ってくれた。
保育園に通い出して2週間ほど経った頃に
38℃の高熱が出たらしい。(きっとストレスだね)
着ていたのはそのワンピース。
母が着替えを出してくれたのにもかかわらず
「パジャマやだ!セーラームーンがいい!」
そう言って私は着替えるのを頑なに拒んだそうだ。どうして。
※ちなみに中学校の制服は公立だったがネクタイにブレザー。
高校の制服もブレザーだった。
2.【体操着】
「やだ!体操着で行くの!やだ!」と、駄々をこねたことがある。
きっと両親も「?」だったであろう。
保育園に行く時の服装の話ではない。
GWにウサギと触れ合える牧場へ行こうと提案してきた時の服装の話だ。
(ウサギが大好きで飼いたかった)
結局牧場には体操着で行った。
✰︎
いずれも写真に残っているが、どう考えても笑える半面恥ずかしい。
どうしてそこまで拘っていたんだろうか
「歯がぴぇん」
日曜日の昼下がり
食材の買い出しに行こうとした時
口の中で違和感を感じた。
歯が欠けていた。ほんの少しだけ。
ネイルアートに使うような、ピンセットでないと摘めないような小さいラインストーンくらい。
「歯がぴぇん!!!!!!」
思わず叫んでしまった。
このご時世なので歯医者さんにいくのも申し訳ないと思いつつ、翌日治療へ。
快く対応してくださりありがとうございました。
表面麻酔をしてレーザーで歯を削ってもらったが、嫌な音も嫌な痛みもない。感動した。
奇跡的に虫歯も1本のみ。
コンクール、ジェルコート、紫のリステリンを普段の歯磨き後に使っていたおかげなのだろうか…とりあえず一生ついていく。
コロナウイルスが落ち着いたらクリーニングに通うことになった。
美味しいものを思いっきり食べられるのは幸せだ。
そして歯を大事に。
「破壊神」
タイトルの通り私は自他共に認める破壊神。
名前はシヴァではない。
1.【ドライヤー】
突然アンチラグシステムの如く火花が出て再起不能に。
2.【またドライヤー】
上記のドライヤーが再起不能になってしまった為
予備のものを使っていたところ突然温風も
冷風も出なくなり再起不能に。
(2台が再起不能になるまで所要時間10分足らず)
(このあと親に呆れられたのは言うまでもない)
3.【勝手口の網戸@実家】
破った。
高校生の頃、帰宅した際に鍵を忘れたことに気づいた。
季節は夏、勝手口のドアの網戸を破り、
そこから手を入れて鍵を開け、家に入った。
(私の頭の中は完全に網戸<家の中に入ることだった。)
この事件からもうすでに○年経つが、未だ網戸は修復されておらず、母親には夏が来るたびに怒られる。
4.【鏡】
割った。
田舎の高校生(自称進学校、部活が忙しく放課後遊んでる暇はなかった)だった私だが、
B5サイズくらいの鏡を持ち歩いていた。
(なんで?と疑問ばかり浮かぶ)
(枝毛を探すことで頭がいっぱいだったことしか覚えていない)
(寝坊した時は学校でコンタクト付けたけど、そんなに大きいもの必要だったのか?私…)
修学旅行の時もその鏡を持って行った。
宿泊先である神戸のホテルで、事件は起きた。
キャリーケースは荷物でパンパンだった。
(どうしてそこまで?)、
当然ながら閉まらないキャリーケース。
火事場の馬鹿力(?)でキャリーケースの上に座って荷物のカサを減らし
ファスナーを閉めようとしたところ、
ものすごい音がした。
「パキッ☆」
?????!???
ケツで鏡を割っていたようだ。
恥ずかしさのあまり同じ部屋の友人にもこのことは話せなかった。
もちろん○年経った今も誰にも話せていない。
次の日にはもうすでに新しい鏡を買ってご機嫌だった。
ワレモノには気を付けよう。
「はてブは魔境」
緊急事態宣言が解除されて会う頃に
なにをいわれるのだろうか、と思うと
ヒヤヒヤします。(URL教えてない)(教えたれ)
本日の出来事を。
の予告ツイートにあったハッシュタグ
" お願い人間のこと思い出して "に心を打たれ、祭りに参加するしかないと思った。
(地味にチンアナゴが大好き)
「あぁ!FaceTimeしなきゃ!」
と思い、ツイートを見たら14:00まで。
時間は14:05だった
「明日リベンジしよう」
と思いTwitterを再度確認したら期間は5/3〜5の3日間。
よくよく考えたらまだ4月でした。
焦りは禁物。
このことに気づいた私は笑いが止まらなくなり
挙げ句の果てにひっくり返ってしまいました。
(自爆すな)
そして背中でメガネを壊すところでした。危ない。
(ブルーライトカットレンズだし度も合ってるのでマジ大事。鼻パッド合わないけど)
(話を戻して期間外にすみだ水族館へFaceTimeをかけたらどうなってしまったのだろうか…と気になってしまう自分がいる)